当時の高速バスの急成長を象徴する言葉が二つある。一つ目が「フェニックス族」だ。
1998年、福岡と宮崎を結ぶ高速バス「フェニックス号」が運行を開始した。「共同運行制」が定着し、全国で雨後のたけのこのように高速バスが開業を続けていた頃だ。
当時は九州山地を越える区間で高速道路がまだ開通しておらず、一般道で峠越えをして所要時間5時間30分(高速道路全通後は約1時間短縮された)。当初は1日にわずか3往復のみと、事業者側もその需要量の大きさに疑問を持ち慎重なスタートだった。
だが、競合環境(並行する鉄道は線形が悪いため速度が遅く、また航空路線もあったが直線距離で200キロ程度の移動には高価すぎる)に恵まれ、すぐ人気路線となり、次々と増便を繰り返していった。
今日では毎日28往復まで増便され、ピーク時は15分間隔と高頻度で運行されている。
先ほど「福岡と宮崎を結ぶ」と、福岡を「起点」扱いで紹介したが、高速バスの利用は「地方」側の在住者に偏っている点は何度も繰り返した通りだ。同路線も、宮崎側に住む人の「福岡への足」という利用が中心であった。
開業翌年には、福岡の天神地区再開発によって、若者向けの商業施設が相次いで開業した。
時代はバブル景気のさなかである。元号が昭和から平成に変わり、都会的な若者の生活を描く「トレンディ・ドラマ」の人気がピークだった年だ。宮崎在住の若年層は、週末になると競うように高速バスに乗って、都会である福岡の最新の空気を吸いに行った。
その姿を、地元紙が高速バスの愛称をもじって、「フェニックス族」と名付けたのだ。分割・民営化直後のJR九州が、対抗して「かもめ族」という言葉を作った(長崎から博多への特急電車の愛称から命名した)ほど、その存在感は大きかった。
全国的にも、その当時開業した高速バス路線の愛称には、「トレンディ」「アーバン」「TOKYOサンライズ」など、都会への足としての役割を強調したものが見られる。
(高速バスマーケティング研究所代表)